煙草の似合う女だった
セミロングの黒髪
ピアスだらけの体
低く焼け付いたような声
薄い夕焼け空みたいな唇
強気に見えて弱音しか吐けない貴方を
貴女に憧れて吸い始めた煙草は未だに慣れないけれど、貴女と一緒に夜空の下で吸う煙草は特別美味しかった。
覚えている
忘れる訳がない
貴方と話したことを
貴女と過ごした時間を
貴女の隣で笑ったことを
貴方と一緒に巡った場所を
貴女と一緒に吸った煙草の味を私はまだ覚えている。
「夜ってほんとに嫌いなのよね、ひとりの時間が一生に感じられるから」
美味しそうにに煙を吸って、不味そうに吐き出した。こちらに目を向けてきたので、私はそれに返すように口を開く。
「そうかなぁ?私は好きだよほら貴方と沢山お話出来るし」
「ふふ、じゃあ君は私から離れることが出来ないわね」
柔らかい黒髪を揺らして、それ以上に柔らかく笑って私に真っ直ぐな好意をぶつけてくる。私はそれがとても嬉しかった。
でも私は知っている、それが長続きしない事を。
貴方は狡い人間だから。
私と違って独りで生きられる人だから
要領が良く愛される方法を知っているから
きっといつか私を置いて行ってしまうんだろう。 それでも良かった。今を引き伸ばして貴方の隣に居られるなら、私はそれだけで良かった。
1番でもなく2番目で満足だった。
予備みたいな存在でも
煙を吸う。紅茶の香りがする煙草は私を慰めるように紅茶の味を広げていく。頭が重い。その現実を紛らわしてくれる重たさが、今の私には心地良かった。
雨が降っていた。地面を殴りつける雨の音は何故か心地良い。
雨の音は貴方に似合っている。
寒さと音と空の暗さは何処か似合っていた。
雨の日にわざわざ外に出てタバコを吸いに出かけるのは私達ぐらいであろう。
「雨の匂いって落ち着かない?」
空を見つめながら言う。本当に私に話しかけているのかと聞きたくなるくらい、その目は私を移してくれなかった。
「落ち着くけど、私は家の中からでいいかな」
「あら、なにそれ嫌味?」
「そこまでは言わないけどさ、さほど活発な人間じゃないからさ」
「ふ〜ん、まぁそういう事にしておこうかしら」
と左手に持っていた傘を私に差し出した。
そしてポケットを探る、出てきたその手には、ジッポライターと煙草の箱が握られていた。
お前も吸えと、目が言っている。
ひとつだけため息を吐いて、煙草を取り出し口に咥える。
そのまま咥えた煙草に押し当てる。
吸って、火がついて、どちらともなく離れた。
「それでもこうして付き合ってくれるのは君の良い所だよね。感謝してる、大好き」
「その返しはズルい。貴方のそういう所は嫌い」
「ふふっ、君のクールぶってる所も直球に弱い所も大好き。ずっと、変わらないでいてね」
笑っていた。楽しそうに笑っていた。
どうしてか最後の台詞は寂しそうに笑っていた。 雨が降っている。さっきよりは雨脚が弱くなってきただろうか。貴方の目にはやっぱり私は映っていない、少しだけ、悲しかった。
分かっていた。私は分かっていた。
いつかこうなる事も
それが遠くない未来だという事も。
それでも私には足掻くことしかできない。それでも私は踠き続ける。だって、そうしなければ貴方はずっと独りになってしまうから
「じゃあ、終わりにしましょうか、全部。私達の、全部」
晴れた日。久しぶりに快晴を見せた冬の空の下、貴方は唐突にそんな話を私に突きつけた。
「…私は、終わりになんてしたくない」
手を伸ばす。
伸ばす先は分からない。
それでも伸ばす。
私の手を握ってくれた。
でもそこにいつか触れた体温は感じられなくて
直ぐにちぎれてしまいそうな、細い糸のように
私は泣いてしまいそうになる。
駄目、駄目、駄目だ。
泣いてる場合じゃない。
ここで心を乱して間違えてしまったら
その瞬間に貴方は居なくなる。私の前から、私の心から消え去ってしまう。
貴方その顔は私と違って、とても嬉しそうにただ笑っていた。
「君はいつもそうね。君を慕う人が多いのに私なんかを何よりも優先する。そんな君が大好きだった。そんな君が堪らなく愛しかった」
やめて 止めて 止めて
お願いだからそんな目をしないで。
何で貴女はこんな時でも、そんなに嬉しそうに笑っているの。
「でもね、駄目なの。私と居ると、君はいつか変わって壊れてしまう。バラバラになって、灰になって、何も残らない。それが手に取るように分かってしまう」
貴方は私の手を頬に当てて、子供のように擦り寄っている。
手のひらに伝わる感触と暖かさが私の頭を殴り続ける。 止めなきゃ、ここで押し倒してでも止めて
抑えられない。涙がボロボロと零れ落ちて床に痕をつける。
どんどん広がっていく。
止められない。
穴が開いていく。
それも止められないまま
私は何も言えないまま、涙だけが動き続けて私の心は穴に飲まれていく。
「ねぇ……ねぇ…!」
どうにか口から搾り出しても形を成さない。無意味だった。無力だった。
貴方を初めて見た時の事が頭の中で勝手に再生された。色んな人に囲まれていた。貴女はつまらなさそうに独りで笑っていた。 そんな姿に、私は憧れてしまった。そんな貴女に、初めての恋をしてしまった。
「ごめんね、ごめんなさい。全部私が悪いの。君は何も悪くない。私が最初から全部悪いの」
優しい声と優しい言葉。それでも貴方は嬉しそうに笑っている。憧れが何だ、初恋が何だ、例え貴方が貴方じゃなくなるとしても、私は、私は…動くべきなんじゃないのか。
「…何も出来ない、君は何も出来ない。どれだけ意識しても、どれだけ足掻いても私とは違うから。それは普通の事なの。君も当たり前の人間だっただけ。私がそれに気付かない振りをして、君に甘えてしまった」
顔が近付いてくる。煙草の匂いがした。嗅ぎなれた筈なのに妙に甘ったるいその匂いが私を傷付ける。
嫌、嫌。終わりになんてしたくない。
きっと、私の初恋だけは変わらないはずだから。
誰にも変えさせてはいけないの。
貴方に包まれる。煙草と貴方の匂いが混じって私の手足を縛る。
動くなと、これ以上苦しまなくていいと、そう、言っている気がした。
「ありがとう。…君の事、大好きだった。愛してたとまでは行かなくとも多少なりとも気に入っていた…もしかしたら、私も初恋だったかもしれない」
気づかなかっただけでねと聞こえた気がした
壊れる。全部、壊れてしまう。
時間が信頼が関係が記憶が体温が声が
そんな言葉を投げられてしまったら
私は崩れ去ってしまうのに
貴方の匂いと体温が崩れた私を拾い上げて元の形に戻していく。
貴方で作りあげられた私だけを放置したまま、優しく私を拾い上げて抱き締める。
「…うぅあっ…あぁ…やだっ…やだよ!」
最後の抵抗だった。何の力も入っていない
赤ん坊よりも弱い抵抗。
そんな物が通じる訳もなく、振り払われてしまう。
唇に柔らかい物が当たる。冷たくて暖かい。私は無我夢中でそれを求めた。求めて貪った。けれど終わりはすぐに来て、愛しい体温は私を捨てて立ち上がる。
何も残らなくても
普通に生きても
それでも貴女は私の大好きだから。
それでも私は、貴女に恋をし続けるから…
「…無理よ。私は変われないし、君にそれは出来ない」
私の心を見透かして、離れていく。動かない、動けない。嘲笑うみたいに涙だけが溢れ続けていた。
「さよなら。愛してる。どうか、私の事を忘れて生きて。可能なら幸せになって」
終わりだった。そんな陳腐な言葉が私と貴方の終わりだった。
離れていく。消えていく。
さっきまで目の前に居たのに、さっきまで貴方に包まれていたのに、それすら今にも忘れてしまいそうで、私は、私は。
「ぁ…あぁ……ああああああああっっ!」
一人で泣いた。独りでは泣けなかった。私は貴方とは違うから。私は何処までいっても貴方にはなれないから。
私の泣き声だけが響いていた。
周りには何もなかった。
隣には誰もいなかった。
いつもだったら手の届く場所に居たのに
私だけがただ虚しく
私だけが普通に
私だけが当たり前に
私だけがつまらなく
私だけが子供のように泣き喚いていた。
「これで本当に最後だよ、さようなら」
心臓に焼き付いた貴方顔は、それでも嬉しそうに笑っていた。
貴方が憎くてしょうがない誰とでも幸せに成れる貴方が、私には貴方だけなのに。